伊藤博之先生の「知ってるようで知らない教育の話」
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「学び」の深層⑩ー【おまけ】なぜ「じゅぎょう」は「授業」と書くのか?ー
辞書を引いてみると「受業」という言葉があることがわかります。師匠は「授業」、弟子は「受業」するのです。それなのに、多くの人は、英語で言う”class”の訳語として「授業」を当てることに疑問を持ったことはないでしょう。しか […]
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「学び」の深層⑨ー「学び」と「學び」は全く異なる!ー
これまで見てきたように、おなじ「まなび」でも、「教えない教育」における「學び」と「教える教育」における「学び」は、まったくもって似て非なるものであることがお分かりになるでしょう。 ところが、現代日本に住む私たちの底流で「 […]
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「学び」の深層⑧ー「教えない教育」⑤:「読書百遍」ー
寺子屋/手習所で行われていた「學び」の中心は、読み書きをまなぶ「手習」(てならひ)と、アドバンスなものとしての「素読」(そどく)でした。 「手習」は、お師匠さんに与えられた手本をひたすらその読みを繰り返しながら模倣するこ […]
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「学び」の深層⑦ー「教えない教育」④:「敎へ」と「學び」ー
「教えない教育」において、師匠の行う「敎へ」は、モデルの提示、モデルと弟子の行為の差の指摘(多くの場合は叱責)、差がなくなった場合に次のモデルの提示へと進むというものだけです。ここには、現代日本人が想定する意味での「教え […]
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「学び」の深層⑥ー「教えない教育」③:「學び」の語源ー
さて、この「學び」とは語源から見るとどんなものでしょうか。 日本の土着的な語源的には、「まねび」(真似び)となります。同じように「習ふ」は「ならふ」(倣う、慣らふ、馴らふ)です。[「真(まこと)に習う」から「まなぶ」がで […]
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「学び」の深層⑤ー「教えない教育」②:「守破離」ー
武道や芸道において、 「守破離」(しゅ・は・り)という言葉があります。 これは、先に示した「稽古」の進捗段階を示すものです。師匠の示すものを己を無にして徹底的に真似し尽くす(=一体化する)努力をひたすらに続ける […]
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「学び」の深層④ー「教えない教育」①:「稽古」ー
武道や芸道の世界においては、一般的には師匠と弟子という関係が結ばれます。その上で、師匠は弟子に「稽古をつける」ことになります。「稽古」とは、文字通り「古」(いにしえ)を「稽」(かんが)えることです。具体的には、師匠がある […]
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「学び」の深層③ー「教える教育」と「教えない教育」ー
「學び」:伝統的な「学び」を支えていたのは「教えない教育」と表現すべき教育のスタイルでした。それは、明治期以降の「教える教育」が当たり前になっている現代日本人にはなかなかイメージできないもののようです。1世紀半の時を経た […]
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「学び」の深層②ー「學び」:伝統的な「学び」ー
日本がまだ近代西洋文明の大波に洗われる以前、日本には西洋流の近代学校は存在していませんでした。その代わり、藩校(武士階級)や寺子屋/手習所(庶民階級)という土着的に育まれてきた独自の教育機関が作り上げられていました。 ち […]
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「学び」の深層①ー「学び」には新旧2種類あるー
佐藤学氏の「学びの共同体」論以降、教育界では「学習」に代わって「学び」という呼称(概念)が大流行(おおはやり)です。 確かに、現在、「学習」という呼称には、教師が主体となって行う一斉教授を児童・生徒が受動的に受けることを […]
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