「学び」の深層②ー「學び」:伝統的な「学び」ー

「学び」と「學び」

日本がまだ近代西洋文明の大波に洗われる以前、日本には西洋流の近代学校は存在していませんでした。その代わり、藩校(武士階級)や寺子屋/手習所(庶民階級)という土着的に育まれてきた独自の教育機関が作り上げられていました。

ちなみに、関西圏では寺子屋、関東圏では手習所というのが一般的な呼称でした。(江戸末期の庶民教育の研究は関西圏で先行的に行われたため、「寺子屋」という呼称の方が一般に普及したようです。)

この独自の教育機関で行われていたのが、元々の「学び」ということになります。(以下便宜的に、「學び」:伝統的な「学び」と呼ぶことにします。)