「学び」の深層④ー「教えない教育」①:「稽古」ー

稽古

武道や芸道の世界においては、一般的には師匠と弟子という関係が結ばれます。その上で、師匠は弟子に「稽古をつける」ことになります。「稽古」とは、文字通り「古」(いにしえ)を「稽」(かんが)えることです。具体的には、師匠がある「型」もしくは「一連の行為」を弟子の眼前で実演し、弟子は「模倣」すなわち、己を排してなるべく正確にその「型」もしくは「一連の行為」を自らに徹底的に写し取っていくことが求められます。

その際、師匠は意図的に一切の解説を行いません。その上で、師匠は、弟子に「模倣」させつつ、徹底的なダメ出しをしていきます。そして、弟子には「なぜ?」を含んだ一切の質問を許しません。もしも、弟子が「どうして駄目なのですか?」と必死に問うたとしても、師匠は「自分で考えろ。」と返すのみです。

ここでは、師匠が示した「型」もしくは「一連の行為」がどうしてそのようなものであるのか(=師匠を含む古人がどのような想いをもってそうしたのか)を自分で想像し、その想いに染まりきることが求められていることになります。注意すべきなのは、この際、科学的な思考が求められているわけでは全くない点です。むしろ「考えるな、感じるのだ。」として合理的な思考を排除した、想いへの共感を伴った一体化が求められているのです。

このように「稽古をつける」ことが「敎へ」であり、「稽古をつけてもらう」ことが「學び」であるのです。