「学び」の深層⑦ー「教えない教育」④:「敎へ」と「學び」ー

渇望

「教えない教育」において、師匠の行う「敎へ」は、モデルの提示、モデルと弟子の行為の差の指摘(多くの場合は叱責)、差がなくなった場合に次のモデルの提示へと進むというものだけです。ここには、現代日本人が想定する意味での「教える」行為はありません。むしろ、あえて「教えない」行為を繰り返しているようにも解釈されます。

苦行にも似た地道な作業である「模倣」と習熟の進捗が偏に弟子の意識的な努力次第であるため、弟子の「ああなりたい!!!」という「學び」の意欲こそが決定的に重要となります。師匠は、弟子の意欲を焚き付けるために意図的に教えないことによって、弟子の盗んででも身につけたいという欠乏感から来る渇望を鼓舞しようとしていると言えましょう。

文献

辻本雅史『学びの復権』岩波書店、2012年