「学び」の深層⑧ー「教えない教育」⑤:「読書百遍」ー

「手習」と「素読」

寺子屋/手習所で行われていた「學び」の中心は、読み書きをまなぶ「手習」(てならひ)と、アドバンスなものとしての「素読」(そどく)でした。

「手習」は、お師匠さんに与えられた手本をひたすらその読みを繰り返しながら模倣することでした。自分なりにうまく書けたと思った時点でお師匠さんに見てもらいます。お師匠さんは必要があれば朱筆を入れ、逆に合格だと思えば、次の手本を与えることになります。

「素読」は、(たいていの場合)四書五経を教材として、その白文(返り点や句読点のない全くの古代中国語)の読み下し文を教師から個別に口伝され、それをひたすら音読して覚えるという、丸暗記活動です。

その際にお師匠さんから繰り返し言われるのは「読書百遍意自ずから通ず」です。意味がわからなくても、百回読み返せば自然に意味がわかってくるという意を指す言葉です。その言葉に励まされ、才ある子どもたちは多くの漢籍を丸暗記し、その結果、より多くの漢籍が読めるようになり、漢詩がひねれるようになったのでした。