教師の学習観・学習者観の転換と協調学習
学びとは何か。人はいかに学ぶのか。こうした問いは、私たちにとって最も根源的なものの一つです。そして、今も思考が重ねられているものです。
これまで学習とは、既有の知識を獲得することだと考えられてきました。学習者は受け身の教えられる対象として定位され、学習の成果はペーバーテストによって客観的に測定できるとされてきました。すなわち学習は、学習者の個人的な営みとして捉えられてきたのです。
そんななか私たちは、それは学習に対する一つの捉え方なのだと考えるようになったのです。中央教育審議会が指摘するように、私たちは今「予測困難な時代」を生きています。それゆえ、一人ひとりがそして社会全体が答えのない問いに立ち向かっていかなければなりません。そうだとしたら、前記した学習の捉え方のままで、はたしてこの急激な社会変化に対応していけるでしょうか。また、インターネット上には膨大な情報が溢れ、しかもつねに更新され続けています。こうした現状も、学習の捉え方に変化を迫ることになりました。さらには学術の分野でも、社会構成主義やそれに親和するメタ理論の現れは、私たちの日常世界の理解の仕方に新たな視座を提起することとなりました。このような社会的、学術的な変化を背景に、学習は新たな定義を手に入れることになったのです。いわゆる学習観の転換です。
転換された学習観において学習は、「他者との対話を通した新しい知識の創造や更新の営みに協働的に参加すること」などと定義されるようになりました。この定義に含意されるポイントを整理しておきます。まず既存の知識体系は、思考の起点であって、リスペクトしつつも絶対視することなく、吟味の対象として批判的に接近するものであること。つぎに、他者と対話を重ねながら知識を共同構築していくこと。構築されるのがすでに明らかな知識であっても、学習者が他者との対話を礎に自分たちで知識を創造していくことが重要とされます。Collaborative Learningの訳語である協調学習とは、このように転換された学習観に依拠したものであり、それを具現する学びのかたちの一つなのです。
協調学習では、その基底にある学習観が従前のものとは異なります。したがって、そこでの教師の役割や学習の評価の在り方も必然的に異なることになります。学習観が転換されているのに、教師の役割や学習の評価が従来のままでは、そこに理論的整合性を担保することはできません。協調学習における教師の役割は、学習者の学びを支援するファシリテーターとして振る舞うことです。学習の評価も、ペーバーテストのような形式は妥当性をもたず、実際の状況のなかで学習者がどのように課題に取り組んでいるかが評価されなければなりません。
そして、協調学習の実践の過程で最も大切だと考えられるのは、学習「者」観の転換です。学習者中心の授業を展開したいと考えている教師は少なくありません。しかしながら、なかなかそうなっていない現実があります。それはなぜか。その理由の一つが、教師の学習者観にあると考えられています。教師が学習者を能動的で有能な学び手とみなしているかどうか。教師の学習者観が転換されない限り、協調学習のねらいを十分に達成することはできないといえるでしょう。
(山中 一英)
参考文献
広石英記 (2018). PBL型総合学習を核としたカリキュラム・マネジメントの展望―学びをほどき,学びをむすぶカリキュラム・リデザイン― 日本教育学会大會研究発表要項, 77, 85-86.
久保田賢一 (2003). 構成主義が投げかける新しい教育 コンピュータ&エデュケーション, 15, 12-18.
白水 始 (2020). 対話力 東洋館出版社