自分でついた嘘を信じる子
みなさんは「ついた嘘を認めない子」に遭遇したことはありませんか。
もはやバレバレになっているのに、本人はあくまで「本当にそうだったのだ」と繰り返す子です。もちろん認めた後のことを考えて“自白”しない場合もあるでしょう。けれど、前回お話した認知的不協和理論によって、自分でも「嘘が嘘と思えなくなっている状態」にある可能性も考えられます。
フェスティンガーさんとカールスミスさんは、このような「嘘の内面化」を実験的に示しました。実験参加者は大学生です。彼らは仕事効率の実験だと言われて、ひどく退屈な作業を長時間させられます。たとえばミシンで使う糸巻きを大量に床に撒き散らして、拾い集めた後また撒き散らして拾い集めて・・・ってなヤツです。いい加減うんざりした頃に実験者がやってきて、作業に対する評価を求めます。もちろん参加者は、退屈だ、重要と思えないなど低い評価をしました。その後、実験者は参加者に次の依頼をしたのです。「あなたの場合は作業に期待を持たせない条件だったのですが、次の参加者は面白いという期待を持たせる条件なのです。その情報を伝える助手が今日休みなので、その役を引き受けてもらえませんか。次の参加者に『作業はとても面白かった』と伝えてほしいのです」
依頼を受けた参加者は、隣室にいる次の参加者に「作業はとても面白かった」と言いました。嘘をついたのです。すると相手は「えー、友達に聴いたら退屈だったと言ってましたけど?」と聞き返します。そこで何度も「面白かった。本当に面白かったですよ」と嘘を重ねてしまいます。ようやく相手が納得して、帰ろうとした参加者に、実験者が再び近寄ってきて、再度、作業に対する評価を求めました。質問項目は前と同じです。
この手続きで得られた複数の参加者のデータを分析したところ、作業直後の評価より、嘘をついたあとの評価の方が有意に高くなりました。つまり、面白いと嘘をついたあと、参加者の退屈な作業に対する評価が、面白いという方向に変化したのです。
自分でついた嘘の方向に、自分の気持ちが変化したのです。
なぜ、このようなことが起きたのでしょう。不協和を減らす心の働きです。「退屈な作業」と「退屈だと言った」の関係は、協和しています。一方「退屈な作業」と「面白いと言った」の関係は、不協和です。不協和は不快をもたらします。不快を取り除くため、この関係の認知を協和にしなければなりません。しかし「面白いと言った行動」はもはや取り消せません。気持ちの持ち様で変えられるのは「退屈な作業を退屈だと思わない」とすることです。
ちなみにこの実験では、嘘をつく報酬に2ドルもらえる条件と20ドルもらえる条件が設定されていました。その結果、自分でついた嘘の方向に気持ちが変わる程度は、2ドルの条件の方が強くなりました。
嘘をついたことによる不協和な関係を、協和に持って行く新たな要素が報酬です。「20ドルもらった」と「だから嘘をついた」という関係は協和的で、嘘をついたことによって生じた不協和を打ち消すために有効だったのです。一方「2ドルもらった」と「だから嘘をついた」は協和的ではありますが、20ドルほど不協和を打ち消す強さを持っていませんでした。そのため、2ドルで嘘をついた参加者は、作業に対する気持ちを変えることで、2ドルでは解消できなかった不協和を取り除くことになったのです。
Festinger, L., & Carlsmith, J. M. (1959). Cognitive consequences of forced compliance. Journal of Abnormal and Social Psychology, 58, 203−211.