3.評価の「主観性」と「客観性」

学校で評価について話すとき、「主観と客観」の話になることはありませんか。
筆者の聞く限りでは、「主観的ではなく、客観的でなければならない」と話が進むことが多いようです。
ここでの「主観的」「客観的」な評価とは、
「主観的」…教師の個人的な見方や感じ方にもとづいて行われる評価
「客観的」…数値や○✕がはっきりして採点の迷いが少ない、比較的シンプルな評価
を指して用いられることが多いようです。
では、なぜ「評価は客観的でなければならない」という話になるのでしょうか。
「評価」の視点では、「主観的に、自分の好き嫌いで見ていては、子どもの学びをきちんと把握できず、次のよい指導や学習につながらないから」といった理由が考えられます。
「評定」の視点では、「客観的でなければ、管理職や保護者、生徒から成績のつけ方について聞かれたときに、きちんと答えられないから」といった理由が考えられます。
多くの場合、「客観的でなければならない」と考えるのは、後者の「評定」の理由がもとになっていると思われます。そこに、「評価」の視点でも客観的な方がよいはずだ、という話が加わっているように感じます。
ここでも、「評価」と「評定」が一緒に扱われることが関わっています(コラム2)。
評価と評定が同じもののように扱われると、「結局、客観的であるほうがよい」という結論になりやすいのです。
「評価」を目的とする場合には、客観性が大きなプレッシャーになることはあまりありません。「評価」はあくまで実践の改善をめざすものであり、成績づけのように、誰かから「その評価の根拠」についてはっきりした説明を求められる場面は多くないからです。
もちろん、たとえ誰かに説明を求められなくても、「この評価はよい指導と学習につながる」と自分自身のなかできちんと納得できることは大切です。
また、「評価」においては、客観的であったとしても、それが次の指導や学習の改善につながるとは限りません。
たとえば、〇✕がはっきりするテストを使って客観性を高めたとしても、それが暗記で正解できてしまうのであれば、子どもたちが深い学びをしているかどうかは分からないままです。
むしろ、教師が「この子は今、どこでつまずいているのか」を主観的にみとり、それを手がかりに次の授業で問いかけを工夫し、理解を深めることができるなら、それはよい評価だと言えるでしょう。
評価においては、主観と客観の線引きをすることは、そもそも難しい場合が多いです。
教育は人が行う営みであり、たとえ〇✕のテストであっても、その問題の作成や使用の段階で、「こういうテストがよいはずだ」といった何かしらの主観が含まれるからです。
こうした点を踏まえると、評価では一般的に「妥当性」や「信頼性」という別の観点から考えることが重要になります。
(この点については、次のコラムで詳しく扱います。)
