個別最適な学びとICT活用

 答申では、にICT活用に関わって、「ICTの活用により,子供一人一人が自分のペースを大事にしながら共同で作成・編集等を行う活動や,多様な意見を共有しつつ合意形成を図る活動など, 『協働的な学び』もまた発展させることができる。ICTを利用して空間的・時間的制約を緩和することによって,遠隔地の専門家とつないだ授業や他の学校・地域や海外との交流など,今までできなかった学習活動も可能となることから,その新たな可能性を『主体的・対話的で深い学び』の実現に向けた授業改善に生かしていくことが求められる。 」(答申p.19)と述べています。

 そもそも、「令和の日本型学校教育」が答申される前提として、答申前文の「人工知能(AI),ビッグデータ,Internet of Things(IoT),ロボティクス等の先端技術が高度化してあらゆる産業や社会生活に取り入れられた Society5.0 時代が到来しつつあり,社会の在り方そのものがこれまでとは「非連続」と言えるほど劇的に変わる状況が生じつつある。」という時代認識があります。ICT技術の急速な進展が社会の変化を激化させているという認識ですから、そのICT技術を使いこなすことが当たり前であるわけです。それは教育についても例外ではありません。むしろ、より効率的にICTを使いこなせるような国民を教育で育成することは、前提でもあり究極の目標化していると言っても過言ではありません。

 ICT技術の代表例として、コンピュータとインターネット(を通じたコミュニケーション)を見ておきましょう。

 もともと、コンピュータはスタンドアロン(Stand Alone)、すなわちその機械1台で運用されるものとして開発されました。しかし、それが複数台繋げてネットワーク(Network)としても運用される道が開かれました。つまり、コンピュータは、最初は《五官や脳の延長としての道具》として生まれ、後から《メディア》としての性質を獲得してきたと言えます。こうした性質から、それ以前の道具やメディアを統合し、より有用なものになり得たのであり、それゆえにこそ、Society4.0社会を5.0にバージョンアップさせ得た原動力になり得たのです。(「ICTの光」の面)

 Society5.0時代ではICTを活用することによって、4.0時代では解決できなかった事柄が解決できると想定されています。したがって、前述した、より効率的にICTを使いこなせるような国民を教育で育成することが求められているのは当然である一方、いままで教育上困難とされていたことをICT技術で解決することがトレンド化するのは当然の帰結です。政府・文部科学省が教育においてICT技術の活用を声高に推進するのはこのためです。

 しかし、ICTの活用は何の配慮もなく推進されて良いものとは言えません。たとえば、ゲーム依存であったり、ネット依存であったり、それによる健康被害や社会からのドロップアウトなど、現在進行形で社会問題となっています。また、裏サイトやそれを利用した犯罪、いじめなども新しく問題視されるようになっています。(「ICTの影」の面)

 コンピュータやインターネット(を通じたコミュニケーション)は、便利で有用な面があるのはもちろんのことで、それを積極的に使っていくことには合理性があります。ある意味放っておいても子どもも大人も自分なりに使っていくでしょう。しかし、新しく便利な者であるからこそ、未だ発見できていない、もしくは見えづらくなっている問題点に殊更気を遣っていくことが必要です。しかし、現状の「情報モラル」教育の多くは、ICTの危険性を高調し、恐怖心をあおることによって問題発生を抑制しようとする枠組みに終始しています。これは、近年の依存症対策の文脈では否定的に捉えられる姿勢です。

 恐怖をもって活用を制限していくのではなく、便利なものなのだからうまく積極的に使っていこう-ただし、うまく使うためには留意すべき事柄があり、問題が生じたときには一人で抱え込むのではなく、周りの人に助力を求めることを躊躇わないような姿勢を育てるという「デジタルシ・シティズンシップ」の発想は注目に値するのではないでしょうか。

(伊藤 博之)

参考文献

坂本旬他『デジタル・シティズンシップ プラス: やってみよう! 創ろう! 善きデジタル市民への学び』大月書店、2022年。