話し合う必然性

あらゆる活動が主体的に行われる時には、必ずと言っていいほど、それは欲求と必然に根ざされている。これがきちんと保障されていることが大切である。この欲求と必然は、およそあらゆる活動の原動力となるからである。その最も分かりやすいものとしては、遊びであったり、現存するすべてのスポーツであったりある。

例えば“鬼ごっこ”や“かくれんぼ”では、子どもたちは鬼になりたかったり、逃げたかったりするし、隠れたいし探し当てたいという欲求がある。また、逃げなければならないし、捕まえなければならない。隠れ通さなければならないし、見つけなければならない。

話し合いを始めるにしても、そもそも児童・生徒が「話し合ってみたい!」「話し合わなければならない」と思っているか?が重要なのである。