人は社会的環境によって作られる

 攻撃性が高く、他人に対処するすべとして攻撃を多用する子どもは、そういう性質をもって生まれてきたわけではありません。社会的学習の結果によるものです。社会的学習とは、社会的環境からの影響で成立する学習全般のことです。観察学習も、代理強化による学習も、社会的学習のひとつです。

 社会的環境は「たくさんの事象(世の中にある物やおきる出来事)」と「多くの他者(自分以外の人)」からできています。さらに「事象と事象」「他者と他者」「事象と他者」は様々に関連し合って、複雑に絡んだ「関係」を形成しています。これらの「事象」「他者」「関係」の真っただ中で、わたしたちは日々生きているのです。そして「わたし」も「あなた」も、この環境の中でなんとかやってきて、ある程度の経験を積み、自分の位置や有り様を手にしたのです。社会的学習は、そのプロセス、つまり「わたしがわたしになり・あなたがあなたになる」過程に大きく関与したのです。

 子どもも大人と同様に、社会的環境の中で生きています。ただし彼らは、ある程度出来上がった大人と違って、今まさに「自分ができつつあるプロセス途上」にあります。従って「どのような自分になるかの途上で、どのような社会的学習をする」か、言い換えれば「どのような社会的学習がなされる環境に生きているか」が、大人より大きな問題になります。大人と違って、子どもは、自らの社会的環境を変えることができません。親は選べません。家から出て行くことはできません。住んでる街から引っ越せません。学校だって簡単には転校できません。

 明らかな暴力に限らず、陰湿な言葉によるものや、無視・否定によるもの、強い者勝ちや横暴さ、意地悪や冷たさ、優しさや気遣いの欠如、はっきりと認識できないようなことであっても、誰かを苦しめ・痛めつけることが通常になっている。そのような社会的環境で適応的に生きることは、攻撃される側ではなく、攻撃する側になることなのです。痛めつけるか、痛めつけられるかなら、痛めつける方になった方が得だと学習してしまうのです。

 社会的学習によって攻撃性・攻撃行動を身に付けた大人は、攻撃を肯定する環境を新たに作りだしてしまいます。虐待やドメスティックバイオレンスの連鎖がまさしくそうです。学校は、子どもにとっての社会的環境の一部にしか過ぎません。しかし、子どもの攻撃性・攻撃行動に気づけるのも、また学校でしかありません。気づいたらまず、彼らがどのような環境にいるのかを上手に聞き出してあげてください。そして必要に応じて他機関と連携を取るなどし、彼らの環境を変えるための支援をお願いします。