完全習得学習

図:完全習得学習の流れ
石田潤「学習指導法の類型」森敏昭編『21世紀を拓く教育の方法・技術』協同出版、2001年。

〈完全習得学習の理念〉

一人の教師が40人の学習者に一斉に授業を行う。果たして、そのような授業で授業内容を「完全」に「習得」できる学習者がどのくらいいるでしょうか。授業中にもう少し時間がほしい、手助けがほしいと思った経験は、みなさんにもあるのではないでしょうか。適切な援助と十分な時間がないばっかりに、習得できるはずの学習内容を身につけることができず、授業がつまらないものに感じてしまう、これは悲劇と言う他ないでしょう。「完全習得学習(mastery learning)」は、このような学校教育が抱える困難を克服するために考案された教育の理論であり、実践です。「完全習得学習」という字面は非常に厳めしいものですが、それは何よりもまず、学習者一人ひとりが設定された学習の目標に到達すべきであるし、それが十分に可能であるというヒューマニスティックな教育観を具体化しようとするものです。

〈完全習得学習の実践〉

 完全習得学習の中核には、評価と評価に基づく学習目標の設定があります。完全習得学習では、診断的評価、形成的評価、総括的評価と、評価を三つに分類して捉えています。まず診断的評価は、学習を始める前に行う事前の評価活動で、子どもの学習状況や既有知識について調査します。その結果に基づいて、主に単元レベルですべての学習者が習得するべき目標が複数構想されます。そしてそれらの目標が学習内容の軸と学習行動の軸という二つの軸で整理されることで、目標間の関係が明確にされ、目標に到達していくための指導の順序などが作り上げられます。次に形成的評価とは、学習が取り組まれている中で、子どもの学習の状況を評価するものです。この評価によって、学習における個々人のつまずきをその都度把握し、より個々人に応じた学習を行うことで、事前に設定された学習目標を全員が達成することを目指します。そして最後に行う総括的評価では、テストやレポート等を用いて学習の成果を看取り、次の指導に活用していきます。完全習得学習では、特に形成的評価をしっかりと行うことによって、学習者が内容を習得する前に次の学習目標に進むことなく、学習者全員が設定された目標を完全に習得していくことを実現していきます。

完全習得学習の具体的な実践については、以下の文献を参照のこと。

梶田叡一・植田稔編著(1976)『形成的評価による完全習得学習』明治図書。

〈「個別最適化された学び」と完全習得学習〉

 「個別最適化された学び」は、現在の学校教育、もしくは将来にわたって学校教育が目指していく教育のスタイルとして注目されています。ICTやビッグデータを活用していくことによって、学習者の学びのありように教育や学習のあり方を最適化させていこうという考え方です。ここで紹介した完全習得学習では、三つの評価を中核におくことによって、学習者の学びを一人ひとりに適したものへと作り上げていこうとしていました。対して「個別最適化された学び」では、そのような評価のみではなく、ICTの利活用によって得られる学びに関する多様なデータから学習者の学びのありようを分析し、より個々人に応じた教育を行うことが期待されます。

 このように考えると、評価を中核に据える完全習得学習は、より多様なデータを活用することで一人ひとりに応じた教育を行おうとする「個別最適化された学び」によって乗り越えられたのかもしれません。しかし同時に、完全習得学習では、すべての学習者に一定水準の学力を保障するという理念の下で、学習目標の作成やその精選が非常に重視されていたことにも注目すべきでしょう。つまりどのような学習内容や学習目標こそが、すべての学習者が完全に習得するに相応しいものであるのか、という観点がありました。一方で「個別最適化された学び」では、その学びの中で何をこそ習得すべきかということは、どのようにして決定されるのでしょうか。もし「すべての学習者に保障すべき一定水準の学力とは何か」という議論を抜きに、学習目標や内容までもが安易に個別化されていくならば、それは個別最適化することが目的化してしまい、非常に空虚な学習になっていくのみならず、個別最適化という名目のもとで、学力の低下や格差の拡大をもたらすものになってしまうかもしれません。

(松田 充)