教師の仕事と「暗黙知」
教師の仕事は難しい。そういわれるのには,教師の専門性が曖昧であること(すなわち,優れた教師の定義が多様であること)が関係していると考えられています。大学を卒業したばかりの新人に学級担任の職務を任せることができるのも,専門性が曖昧だからこそといえるでしょう。比較的に専門性がはっきりした職業ではまずありえないことです。
教師の専門性が曖昧なのは,教師の仕事がいわゆる「暗黙知」に支えられているからかもしれません。ポランニ(Polanyi, M)によって概念化された暗黙知は,しばしば「自転車に乗る」ことを例にとって説明されます。自転車に乗ることのできる人は,自転車の乗り方を知っているはずです。ところが,どうやって乗っているのかと尋ねられても答えることができない。せいぜいバランスをとってくらいのことしかいえない。バランスをとること以上のことをしているのは確かなのに,自分の行為を説明する言葉をもちえないのです。つまり,私たちは言葉にできること以上のことを知っていて,それが暗黙知です。暗黙知は,身体に埋め込まれた知であり,状況のなかで自動的に作動する知です。自転車に乗ることと教師の仕事を一緒にすることはできませんが,暗黙知がその行為を支えているという点で両者は似ています。
参考文献
千々布敏弥 (2005). 教師の暗黙知の獲得戦略に関する考察―米国における優秀教員認定制度に注目して― 国立教育政策研究所紀要, 134, 111-126.
Polanyi, M. (1966). The tacit dimension. The University of Chicago Press. (高橋勇夫(訳)(2003). 暗黙知の次元 筑摩書房)