5.評価で「測りたいもの」と「測れるもの」

 

前回のコラム4では、妥当性と信頼性の話をしました。

ここでは、特に妥当性にかかわって、もう少し詳しくお話しします。

私たちは、めざす子どもの姿や、育てたい力を何らかの言葉で言い表します。

たとえば、「思考力を高めること」「知識を活用すること」「深い理解」「自ら探究する姿」「コミュニケーション能力」「主体的に学ぶ態度」など、さまざまな言葉が用いられます。

そして、私たちが目標として掲げる子どもの姿や育てたい学力のほとんどは、「実際にその学力や能力がどの程度身についているかを、直接確かめることが難しい」ものです。(※1)

そのため、何らかの評価で得られた結果と、育てたい力の関係を疑おうと思えば、いくらでも疑うことができます。

・単語テストに正解したからといって、偶然当たっただけで、「知識がある」とは言えないかもしれない…

・論説文の自由記述式の問題に完答しているからといって、答えを丸暗記しただけで、「文章を読解する力がある」とは言えないかもしれない…

・数学の授業中にたくさん挙手をしているからといって、発言が求められていると感じて行動しているからであって、「意欲的に数学を学ぼうとしている」とは言えないかもしれない…

ほとんどの場合、評価において「本来測りたいもの」と「実際に測れるもの」の間にはズレや疑いが生じます。(※2)

そのため、「今得られた結果から、この子どもにはこういう学力があると言ってよいだろう」と、どれだけ妥当な推測ができるかがポイントになります。

評価にはズレが生じやすいとはいえ、どの評価も同じように疑わしい、というわけではありません。

「測りたいもの」に照らして、評価方法をさまざまに工夫することが大切になります。

さて、コラム3で扱った、評価と評定の区別が意識されにくく、結果として客観性が重視されやすい状況を考えます。

この場合には、実務の負担も考慮して、「誰が見ても〇✕がはっきりする問題を使うのがよい」という考え方が選ばれやすいように思われます。その結果、採点の違いが生まれにくいよう、正解の決まった問題が選ばれやすくなります。

また、態度面についても、挙手の回数や提出物の有無など、数値化して把握しやすい指標が意識されやすくなります。

(とりわけ、「ねばり強く課題に取り組む姿」のような方向目標は測りにくく、妥当性を保ちながら客観性や公平性のある評価方法を考えることは、容易ではありません。)

こうした状況で見落とされやすいのが、「この結果から、子どものどのような力を推測できるのか」という妥当性の視点です。

評価においては、「測りたいもの」と「測れるもの」がズレる可能性を念頭に置きながら、妥当性について考えていく必要があります。

言い換えれば、まず大切になるのは、「目標と評価がきちんと対応しているか」です。

(※1)本コラムでは立ち入りませんが、そもそも「そういった能力が存在するか」という議論もあります。

(※2)そこで、目標をできる限り「制限時間内に、計算問題をすべて正解する」といったものにして、「測りたいもの」と「測れるもの」を一致させよう、と考えることもできます。しかし、このような目標の細分化は、問題の先送りになってしまう可能性があります。それらの目標を一つ一つ達成することと、最終的にめざす子どもの姿はきちんと一貫していると言えるのかは、あらためて考える必要があるでしょう。

【文献】

石井英真(2023)『中学校・高等学校 授業が変わる学習評価深化論:観点別評価で学力を伸ばす「学びの舞台づくり」』図書文化社

松下佳代(2025)『測りすぎの時代の学習評価論』勁草書房