個別最適な学びと支援の必要な子ども

「支援の必要な子ども」と言いましても、この言葉自体が曖昧で、発達障害とも低学力ともどうとでも解釈できます。この中でも発達障害に関しては、特別支援教育の立場から様々な情報が溢れていますので、本稿では、とりわけ通常学級において、学習障害、注意欠陥(欠如)多動性障害、高度自閉症等の発達障害の可能性がある子どもがいる場合の支援・指導と捉えて解説したいと思います。

 まず、こうした可能性のある児童生徒が「通常学級には6.5%程度の存在率がある」との報告があります。数年前には6.3%とも言われていたことを鑑みると年々その存在率は上がっているといえるでしょう。これは、そうした子どもが増えているとも捉えられますし、我々教師の側が認知し始めただけとも捉えられます。しかしながら、いずれにせよそうした子どもが存在することは間違いありませんから、インクルーシブ教育の立場からも教育的ニーズに応える必要があります。障害の診断はされていないものの、何らかの支援が必要と思われる子どもが存在している以上、そうした子どもたちへの支援をする役割は、通常学級の担任にあるのは当然と言えます。

 さて、では具体的にどのような支援・指導が必要なのでしょう。その支援・指導において、我々がまずもって気をつけなければならないことの一つにユニバーサルデザイン(UD)の考え方があります。そもそもユニバーサルデザインとは誰にとっても使用・利用しやすいものであります。これは日本では障害者基本計画において、国連の障害者の権利に関する条約第2条において、それぞれに定義されていますが、この考え方を教育に反映したものが教育のユニバーサルデザインなのです。具体的には、障害等のある児童生徒にとっては「ないと困る支援」であり、その他の児童生徒にとっては「あると便利で役に立つ支援」のことです。

 このユニバーサルデザインの考え方を教育に援用したのが教育のユニバーサルデザインです。さて、この教育のUDの考え方を具現化する具現化するためには、人的環境のU D、教室環境のU D、授業環境のU Dがあります。

まず人的環境のU Dで大切なのは児童生徒理解でしょう。障がいのあるなしに関わらず一人一人の子どもたちの特性を把握しておくことは「個別最適な学び」への支援の立場からも必要不可欠であります。また、より良い学級経営をしていくためには、対人関係ゲームや構成的グループエンカウンターを活用してクラスの集団が安心して相互に学び合い、思ったことや考えたことを気負わずに話し合えることができるようにすることが大切です。

次に教室環境のU Dですが、教室における配慮の中で最も大切になってくるのは可視化(見える化)でしょう。授業を始めるにあたり、児童が落ち着いて過ごし、学習に集中できるようにするため、不要な掲示物を外す(例えば黒板の前面)などして学びを妨げる要因を減らすことが大切です。一方で、見せたいものを工夫して見えるようにすることへの配慮です。これが可視化ですが、児童に見せたいものとは何でしょうか?それは、順序と場所です。配慮が必要な児童生徒は何かに没頭しやすいと言う発達特性があると同時に、飽きやすい側面も持っていますし順番に執着する子どもも多く見受けられます。黒板にその日の学習順序が貼ってあって終わるごとに外していく、これだけで達成感とともに急な時間割変更にも対処できます。また、配膳や掃除の仕方や道具の片付け方、机の中の位置、朝すべきことの順番と何をどこに片付けるのかが絵や図、写真で示されていると安心して次の活動に移れます。こう考えると幼稚園や低学年の先生は、普段からユニバーサルデザインのプロともいえそうです。そしてもう一つ。教室環境のU Dには「暗黙のルール」もあります。学校生活のあらゆる場面に「暗黙のルール」が存在します。1時間の授業での学習活動の進め方や学期ごとや年間のノートやワークシートの整理整頓の仕方など、学習をよりよく進めるための手順や決まりなどです。ただ、とりわけ授業を進めていく上で最も大切な「暗黙のルール」は「話し合いのルール」でしょう。これが、中高学年なら自分たちで創っていかせることも可能ですが、低学年ではそうはいきません。教師が提案してあげる必要があります。だからこそ学級経営が大切なのです。信頼する教師が提案する「話し合いのルール」には説得力があります。例えば「誰しもが発言を邪魔されないこと」。これなどは、U Dの最たるものだと思います(教室にも掲示してほしい)。

最後に授業のU Dですが、これには①構造的板書②提示法③思考ツール④身体表現化と多岐に渡ってありそうです。その一つ一つに至ってご説明するには流石に紙面の都合上不可能ですので、興味関心のある方は遠慮なくお尋ねください。

いずれにせよ、「話を聞けなくなった子が増えた」「じっと机に座っていられない」こうした話を聞くようになったのはもう20年も前の話です。30年前にはADHDなんて言葉も広く知られてはいませんでした。しかし時は流れ今は令和の時代です。子ども理解も幅広く深く考えられるようになってきました。もう子どもに責任をなすりつける時代は終わったのです。どの子にも合理的配慮をする時代なのです。それはどの授業でも同じです。

子どもの心に寄り添い、子どもの心を耕し育んでいくことが我々に与えられた使命です。今一度普段の授業のあり方を反省的に省察し、授業研究に励まなければならないと私は思っています。そのために、子どもたちの思考を促すための手段や方法について、共に深く考えていこうではありませんか。

(淀澤勝治)