「研究者としての教師(Teacher as Researcher)」

大村はま(1973)『教えるということ』共文社。(書影はAmazonからhttps://www.amazon.co.jp/%E6%95%99%E3%81%88%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8-%E5%A4%A7%E6%9D%91-%E3%81%AF%E3%81%BE/dp/4764300125)
「研究者としての教師」という専門職者像はこれまで繰り返し述べられてきました。
例えば、教育基本法には次のように書かれています。
「法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない。 」
また戦後、最も著名な教師の一人である大村はまは次のように述べています。
私はまた、「研究」をしない先生は、「先生」ではないと思います。(中略)研究をせず、子どもと同じ世界にいない先生は、まず「先生」としては失格だと思います。子どもと同じ世界にいたければ、精神修養なんかじゃとてもだめで、自分が研究しつづけていなければなりません。(大村はま『教えるということ』共文社、1973年、20-22頁)
「研究者としての教師」という要請は、日本だけのものではなく、世界的なものです。このコラムでは、ドイツの教員養成を覗き見ながら、「研究者としての教師」をどのように育てようとしているのかを考えていきたいと思います。
