教師という仕事

自らの知識・技能を絶えず刷新していくことができる「学び続ける教師」が、求められています。「学び続ける教師」が強く要請されている背景には、近年の急速な社会の変化があるとされています。

ここで紹介したディースターヴェークは、19世紀の中頃に活躍したドイツの教育(学)者です。彼は、ドイツにおける初等教育とその教員養成の改善に尽力した人物です。ディースターヴェークの言葉を読み取ると、教師が自らを教育し続け、成長し続けることは、時代の要請として必要に駆られて行うことではなく、むしろ、そのような自己教育こそが、教職の倫理の根幹をなしているということがわかります。

教師が学び続ける存在であるということは、日本の戦後の著名な教師である大村はま(1906-2005)の言葉も有名です。

私はまた、「研究」をしない先生は、「先生」ではないと思います。まあ、今ではいくらか寛大になりまして、毎日でなくてもいいかもしれないとも思ったりしますが…。とにかく、「研究」ということから離れてしまった人というのは、私は、お年が二十幾つであったとしても、もう年寄りだと思うんです。(中略)研究をせず、子どもと同じ世界にいない先生は、まず「先生」としては失格だと思います。子どもと同じ世界にいたければ、精神修養なんかじゃとてもだめで、自分が研究しつづけていなければなりません。

(大村はま『教えるということ』共文社、1973年、20-22頁)

ここからも、学び続ける、研究し続けるということが、教職の倫理的な要件であると読み取れます。

教師が学び続けるため、研究を続けるための条件の改善が早急に求められます。